とのblog

とののタイでの日常を書くブログ

最近バタバタしてた。

ここ一週間は祖母の訃報+JICAの研修(+W杯観戦)があり、バタバタしていました。

同居していた祖母が亡くなり、初めてここまで近い関係の人がなくなって考えるところがあったので今日はそのことについて。 自分は祖父母と同居していたけど、二人とも認知症なので介護がかなり大変。 今日が何曜日なのかは1日に10回以上は聞かれるし、食事も着替えも一人でできず、トイレに間に合わないこともよくある。二人だけを家に置いておくと、フォークが庭の植木に刺さっていたり、家の中がめちゃくちゃになっている。じいちゃんは徘徊癖があるので、夜に家を出て行ってしまい、警察のお世話になることもあって、成田から警察犬が出動したこともある。そして帰ってきてなんで出かけたのか聞くと、「山の神に会うため」とか答える。

言葉で書くと大したことないかもだけど、元気な時を知っているから実際にボケていくところを見るのはショックもある。ただそれに慣れてくると話が通じなかったり物がなくなったりは段々とイライラに変わり、僕もじいちゃんばあちゃんに怒鳴ったことも何度かある。 そんなじいちゃんもたまに意識がはっきりする時があり、そういう時は毎回 「もう自分でも自分がわからない、早く死にたい」と言う。 覚えていようと思っても物事はどんどん忘れ、漏らしてしまったり、自分の体が言うことを聞かなくなってくることや、僕や両親の負担になっていることを感じると辛いものがあるんだと思う。

2002年に安楽死が合法化されたオランダを始め、世界には安楽死が合法的に認められている国がいくつかあり、スイスでは外国籍の人でも安楽死することができる(もちろん無条件ではないし、お金は結構かかるらしい)。 オランダでは2016年の死因の約4%(約6000人)が安楽死になっているが、安楽死するための「条件」がクリアできないだけで、実際には希望者は数万人になっているそう。

正直なところ自分もこれには賛成だった。例えばオランダでは認知症と診断され生きていくのが苦痛だと感じると、症状が軽いうちに親戚を呼び、しっかりと「お別れ」をしてから死を選ぶらしい。 それに対して、この前の葬式でもそうだったけど、僕のじいちゃんはもう親戚のほとんどを覚えていない。この前はあまり会うことがない自分の娘(僕の叔母)すら忘れていて、叔母がその後に離れたところで泣いているのを見るのはかなり辛かった。

終活とか健康寿命という言葉が話題になる日本で、このオランダ流の終活は保険料の面でも賛成だった。 ただ今回、実際にばあちゃんが亡くなるともちろん悲しく、この安楽死制度を周りの人が受け入れることができるのかは別なのかなと思い、少し疑問が沸いた。(親が死を選択した場合、受け入れられるのか。認知症は死に直結する病気じゃない。) 同時に日本や欧米よりも身近に死を感じるアフリカでは、どんな答えが返ってくるのかとても興味深いと思った今日この頃。

※今回結構シビアな問題だし、自分の身内を晒すことにもなるのでこの記事を書くべきかかなり迷った。 ただこれから日本が高齢化になる中でこの問題はもっと一般的に認知されるべきだと思ったので、あえて書いてみました。

 

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